三代目タツシの跡継ぎ物語 第四章「その瞬間」は日常のようにやって来る。

電機メーカー名古屋営業所勤務で、跡を継ぐことに自問自答していたタツシ。

ある帰京の折に、跡継ぎの瞬間はやってきました。

夕食後に居間で父と二人になり、

「店をやるよ」

いうような、とても簡単な言葉で伝えました。

それは色々な要素が絡みながら気持ちが醸成されていった結果の表現だったと思います。

名古屋への転勤からは3年近くが経っていました。

転勤が決まった時に父は母に

「君がちゃんとやらないからこんな事になるんだ!」

と言いました。後継者が離れていってしまう、という落胆のような気持ちだったのでしょうか。

それを思えば、きっと嬉しかったか、引き継げたという安堵感もあったと思うのですが(父は養子で西島を継いでくれました)、

そんなことは口にも表情にも出さず「甘い道ではなが、いいのか」ということを繰り返していました。

その時に父は55才。

考えてみれば、これから息子の人生にも、少なからず関わっていくと思えば、気持ちが引き締まったのだと思います。

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タツシ入社時の店内。洋家具職人から内装業に転じた方の作です。

今では、楽しく思い出す事なのですが、

入社後に父が、何人ものお客様に『大変だけれどもいいのか、と言うのに、それでも「やる」と言うので、許可してやった』と話すのには、ちょっと苦笑いでした。

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入社して初期の頃、「ズレないメガネ」をアピールするポスターを制作しました。

長男として店の歴史を継なぐ責務が果たせる、

電子技術と異なり、文系頭で「目に見え、手で触れられる理解」の下で仕事が出来る。

貿易のようなことがしたい、との思いとも重なる部分がある。

どれも真実ですが、本当に私が「店」に身を置いた理由は、ずっと後に計らずも知ることとなります。

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ともあれ、タツシのメガネ屋生活は、1986年7月にスタート。

30年後に、今、あなた様と過ごしているこの素敵な世界に身を置くとは、夢にも思わずに・・・。続く。

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101周年 西島眼鏡店 三代目 西島タツシ