三代目タツシの、街を伝える街を遺す。その25。街の中で路地の役割とは?

虎ノ門 街を伝える 街を遺す

街の情景を書き記すことで、(当地に限らず)「街」というものに、あるべきものや「街」のこの先の姿を探っていければ、と思っています。

「路地」:自分に帰れるところ、街の隅々にまで栄養を行き渡らせる目に見える毛細血管。
路地には色々な思い出がある。
小さい頃、何故か停めてあるハイヤーに木片を投げつけて逃げたが、運転手さんに路地を一周追いかけられて捕まったこと。
住人もお勤めの方も皆んなが可愛がるネコが路地の真ん中で寝ていたこと。

ほんの3〜4年前まで、この路地がありました。愛宕山下にニシジマが在った頃。ご近所さん蛇の目すし脇。今は50階建てマンションとなりました。

同窓生がご両親と営む居酒屋(料理長はお母様)三恵の盛況な空気・・・。

虎ノ門駅近く。この路地は、今もあります。

路地は、機械でいうところの「あそび(ちょっとした動きの余裕)」があり、開かれた隠れ家であり、大通りでは大勢の中の1人だった人間がスッと自分に帰れて、元気も注入出来る場のように感じる。
それは、毛細血管のように動脈と繋がりながら街のあちこちに存在する。

高層ビルと道路を軸にして効率を重視する街を「法人都市」と呼ぶようだが、(今のところ)それを面で捉えると「あそび」や「隠れ家」は順次塗りつぶされているように感じる。

路地はきっと「郷愁」ではない。広い意味で街の効率や秩序を高めるものと思う。

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100周年 西島眼鏡店

三代目 西島タツシ

 

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