私が西島眼鏡店に入社したのは1986年(昭和61年)27才の時のことでした。
二代目の両親が引き継いでから約30年が経っていました。
西島眼鏡店は母の実家で、
父は以前は輸入自動車部品の販売店に勤務していました。自動車部品の販売は順調で、父は仲間との独立も考えていたのですが、
四姉妹だった西島の跡取りとなってくれるべく眼鏡の仕事をすることとなりました。
掛け心地の良いメガネを作る手法の開発や、価格訴求に向かわず品質を向上させるスタイルを店に定着させてくれたこと等、とても感謝しています。
小学生の頃から、店の掃除やお使いなどの手伝いをし、店の空気に触れてきました。中学以降はそんな機会も減りましたが、原体験として自分の中にあったと思います。
店と深い関わりないまま大学4年になりました。
就職課に相談に行き「職人になりたいんですけど」と言って職員の方を困惑させた私は、
モノ作りへの興味から電機メーカーに就職しました
(因みに、小学校の卒業アルバムでは社長になりたいと書き、その後はドラマーとか貿易の仕事もしたいと思い、社会人になってからは、研究者のような姿にも憧れました)。
入社をして約2年後、名古屋に転勤することとなりました。
それが決まったことを両親に告げた夕食卓で、
父が母に対して「君がちゃんと言わないから、こういう事になるんだ!」と言ったのは印象的でした。
名古屋では電子部品(特注IC)の営業でした。
「何の伝手も無い中で新規取引先を見つけること」
が主要業務の一つでしたが、それに対して、自分なりに仕組みを作って行動することは楽しかったです。
又そこでは、アメリカンフットボールの社会人チームへの参加、オートバイでの旅行と、初めての一人暮らしと共に、思い出深い日々を過ごしました。
そんな中で仕事に違和感を持つようになってきていました。 続く。
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101周年 西島眼鏡店 三代目 西島タツシ