二代目が旅立ちました。

西島眼鏡店は、私タツシで三代目となりますが、
二代目を担ってくれた父勇作が、

先日旅立ちをしました、90歳でした。

父とおなじみの方にはご報告、

初めての方にはニシジマの来し方の一端と共に

二代目の父を紹介をさせて戴きます^_^

父は昭和6年(1931年)生まれです。

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篠崎寛一、伊代の二男として産まれました。

四姉妹だった西島家に入ってくれ、昭和32年(1957年)から、西島眼鏡店の経営に携わりました。
その時の父と母はこんなでした!

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若い!

木枠にガラスのはまった扉の開く、ガラガラという音が聞こえてきそうですね。

そして、その時に父が始めたのがコレ!

顧客台帳です

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手前、65年前、昭和32年(1957年)の顧客台帳。 思いがけない有名人(?)がそこに。

この方式は今も続いていて、実務的にも大切ですし、お客さまとの間に、温かい信頼関係を醸成してくれています。

そして何と言っても二代目があみ出した重要なものは、掛け心地の良いメガネを作る手法、手順です。

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美調整!

この姿勢は、今ではニシジマの文化と言ってよいと思います。

 

趣味の面では、オートバイが好きでしたね〜!

コレ↓ は、HONDA車を乗り継いできた父が

憧れのBMWのオーナーになった頃

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休日にどこかの埠頭にで行ったのだと思います。母と二人乗りです。

オートバイは父の影響から、私も乗っていました。

風を直接に受ける開放感がとても好きで、日本各地を走りました。

 

その他の父の趣味は、

渓流釣りやカメラ、写真撮影、日曜大工も好きでした。

 

父の生きた、戦前、戦中、戦後、

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戦中の少年時代、父親と共に。

高度成長期から成熟社会・・・

その中の20年間を共に仕事をしました。

本当に間近に親と過ごしたと思います。

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一緒に仕事をしたのは、こんな頃です。

これからも、父の遺してくれた文化を大切にしつつ、

あなた様と歩んでいきたいと思います。

これからも、どうぞよろしくお願い致します!

 

では締めに、明るく、得意のポーズで

ごあいさつです!

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「これからも三代目をよろしくお願いいたします!」

だからココ

創業103年 西島眼鏡店 三代目 西島タツシ

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父のオートバイを前にして.タツシ30代の頃。