伝えるファウンディング:みんなの実家、コミュニティ古民家「平野邸葉山」が誕生するまで。
伝えるファウンディングは
ひゃぅつう読者の方同士が、自らの体験や知恵を伝え合うことで、
生活の豊かさの向上を互いに応援しあう活動です。
やすこさん、けんじさん、あきさんが、
あなたを応援する為に寄せて下さった
体験と知恵、「コミュニティ古民家平野邸葉山」
です。
「101年の歴史を紡ぐ西島眼鏡店さんとの出会いは2014年のことでした。
以来私(タツシ注あきさん)はもちろん主人、母と、眼鏡をかけている家族全員でお世話になっています。
ご存知の通り西島眼鏡店の2階(通称部室)には大正時代から昭和初期にかけての商売道具や当時の店舗の写真が展示してあります。
それらを眺めていると、
店と街は互いに支え合い時代の流れの中で発展していくことを感じ、
またそれはちょうど私の祖父母や叔母たちの世代で、懐かしさと親近感を抱きます。
そして101年もの長きにわたり虎ノ門にお店を構えてきたことに感動するのです。
さて西島眼鏡店さんが100周年へ向けて邁進している頃
我が家では母の実家をどのようにするかと言う問題が浮上しました。
母が生まれ育った家は
材木商だった祖父が1936年(昭和10年)に樺太から葉山に移り住んで建てた、いわゆる古民家ですが、祖父母が亡くなった後は叔母の一人が住んでいました。
この叔母は80代になっても元気で
葉山から有楽町まで、好きな宝塚歌劇団を見に行くほどでした。
けれども90歳まであと3ヶ月と言うところで世を去ってしまいます。
自分がいなくなった後は私たち親族か、でなければ地域の人たちに家を使ってもらいたいと言うのが生前の叔母の希望でした。
けれども引っ越すのは大変ですし
地域に開放するといってもそのままの形では使えません。
かといって空き家にしておいたら管理の手間や経費がかかるだけの「負」動産になってしまいます。
更地にして処分するのが一番楽なのですが
自由に処分できない事情もありました。
それに私も葉山の家に思い出と愛着があります。
父の仕事の関係で子供の頃から海外で過ごす期間が長かったもの、この家にはよく遊びに行っていました。
心の故郷というか日本の象徴のような存在なのです。
そこでなんとか家を残せないか方法を探ることにしました。
宿泊施設に改装すれば私たちも使えるし
葉山町に限らず多くの人々に使ってもらえるのではないか。
古き良き葉山の別荘文化や景観を維持しようと活動しているNPOがあったので相談してみました。
相談の結果まちづくりクラウドファウンディングに取り組んでいる不動産会社に管理を任せることが決まります。
こうして家は改装されコミュニティーセンターと宿泊施設を兼ねた
平野邸Hayama(平野は母の旧姓です)として生まれ変わったのです。
「みんなの実家」となった平野邸Hayamaは
2020年4月無事オープンにこぎつけました。
コロナ禍による度重なる緊急事態宣言の影響もあって運営は楽ではないものの多くの方々に利用していただいています。
みなさんが支えてくださるのには理由があります。
葉山でも年々古い戦前の家が姿を消してゆくため私たちの家についてもいずれ更地になってしまうのではないかと気にかけていた方が随分いらっしゃったのです。
家もまた地域との支え合いで続いていくのでしょう。
母の友人には実家を処分した方もいますが「思い出もなくなってしまったようで喪失感が大きい」とのこと。
叔母を失った喪失感はあるものの
平野邸Hayamaを残せたのは強い心の支えになりました。
2036年にはこの家も100周年。
西島眼鏡店さんのようにずっと葉山の地にあり続けることを願っています。
皆様もよろしければぜひご来訪ください。
詳細はホームページ
をどうぞ!
私タツシはそこで作家よろしくおこもりでお店のことを構想したり「ひゃくつう」の記事を書いてみたいです。
その他に会議リモートオフィスイベントなど多様な形で体験参加ができます。
みんなの実家に来てね!
101周年 西島眼鏡店 三代目 西島タツシ