西島眼鏡店の周辺

江戸時代は・・・1

ここは戦いのための街だったのか?

今はあまり形として残ってはいませんが、江戸時代のこの地域の大きな特徴は大名屋敷が集まっていたということです。明暦時代(1655~)に大火がありそれを機に都市計画がたて直され、上屋敷(大名当主と妻子の居住する屋敷)は原則として、西丸下、丸の内、外桜田、愛宕下に集中させ、登城の便宜を図りました。また、徳川家の直属家臣団である旗本、御家人も芝、愛宕下地域に多く住んでいました。

さて、先にお寺が種々の理由からこの地に集められたと書きましたが、それらや大名屋敷が集められた大きな訳は(至極当然の事かもしれませんが)江戸城を護ると言う事にあったようです。戦になった時には大名屋敷や寺は戦いのための拠点となりますし、今も古地図のままに残る愛宕1丁目のクランク型交差点(見通しを利きにくくする)もそれをものがたっています。

さらに古地図を細かく見ますと、弊店の前の道路は「鎧小路(よろいこうじ)」と名が付いています。鎧小路の名の由来には諸説有るようですが、やはり何らかの形で武具に係わる職人達が多く住んでいたようです。

 

「西島眼鏡店は大正8年に東京虎ノ門に創業して以来、おしゃれで、似合う、ずれない眼鏡を提案しています」